モトアザブ退屈日記

日々のモノ・コト・忘備録。クルマ、時計、オーディオとか骨董とか。

「寝床」の旦那

志ん朝の落語

落語が好きです。飛行機の機内チャンネルは必ず落語。

(ちなみに、機内チャンネルの番組名は、験を担ぐ意味で「”落”語」の文字はありません。JALは「JAL名人会」、ANAは「全日空寄席」)

もう30年前の話ですが、中学二年の時、古今亭志ん朝の独演会を地元の文化ホールで観る僥倖に恵まれたのでした。

そのときの演目は「試し酒」と「井戸の茶碗」。世界観にぐいぐい引き込まれる、風景が浮かぶような名演でした。マクラでは有名な漫談「山田吾一」も聞けました。

志ん朝の落語を生で見られたのはあれが最初で最後でした。懐かしい。

今の噺家さんだと柳家喬太郎、桃月庵白酒、春風亭一之輔、柳家わさびが好きです。

 

「寝床」という噺

志ん朝の十八番に「寝床」があります。義太夫に凝った旦那が、自分の店の奉公人や借家人に下手の横好きで習った義太夫を聴かせるが、下手さの加減がハンパなく、皆、閉口してしまう、という筋書きの噺ですが、こういうくだりがあります。

 

教えようという師匠のほうも、この旦那をみっちり仕込んで「立派な一人前の太夫にしよう」なんて了見はない。どうやったって素人なんだから・・・この旦那を抱えていれば台所が楽だってんでね、悪いことは言わない。もう褒めてばっかり。

「まぁ、ホントに旦那の声というのは、なんていうんでしょうねぇ。まぁ、脇では聞かれませんですよ。なんともいえない不思議な声で・・・」

 

なかなか、社会人になって「褒められること」、あるいは逆に「正されること」って少ないですよね。楽器のレッスンは見ようによっては「お金を払って褒められに行っているのでは?」と感じることもあります。

 

自分は「寝床」の旦那になっていないか

今行っているチェロのレッスンも、「寝床」の旦那状態にならないよう、気を付けなければなりません。(大げさ)

自分が「寝床」の義太夫旦那のようになっていないか、客観的にチェロの正しい奏法を身につけられているか、自問自答しながらチェロの練習をしています。