楽弓の良し悪し
楽弓にも「量産品」と「分業の手工品(工房作品)」、「作家の手工品」があり、作家の手工品が最も価値があります。楽器と一緒ですね。
弦楽器の楽弓、フロッグと呼ばれる持ち手の部分は一般的にエボニー(黒檀)が使われます。
弓の本体、長いスティックの部分はフェルナンブコと呼ばれるマメ科の常緑高木が最上級とされます。楽弓の良し悪しはスティックのフェルナンブコの品質がほぼすべてのようです。
象牙・べっ甲
ヴァイオリンの弓では、フロッグ部分が「べっ甲」や「象牙」のものを見かけます。特に出来の良い弓が製作される際、本体だけでなく部品の材質も「奢って」やろう、ということなのでしょう。金属部分も通常のシルバー(低廉品はニッケル)ではなく、14金くらいのゴールドが使われています。これらの弓は「金べっ甲」とか「金象牙」と呼ばれています。こうなると工芸品や宝飾品に近くなっていきますね。
あまりチェロでは「金べっ甲」や、ましては「金象牙」は見かけません。
先日、ギヨームの「金黒檀」を試す機会がありました。100万円超えの楽弓。
持った感触は軽めで繊細で、出音はソフトで艶のある美音です。弓元から弓先まで意のままに「良い音」が出るのが印象的でした。
ドイツ製の「金べっ甲」のチェロ弓もありました。弓を持った時に体温になじむ指先の感触はべっ甲ならでは。弓自体は跳ね返りが強めで、発音も固め。べっ甲フロッグの優雅な見た目とは異なる弾き味でした。
マンモス牙
そして、この弓。L’arche Brasil(ラルシェ・ブラジル)というアメリカに本拠地を持つメーカーのチェロ弓です。
ラルシェ・ブラジルは、フェルナンブコの産地ブラジルの楽弓作家10数人の楽弓を取り扱っているそうです。プロモーションは米国、製作は伯剌西爾という協同組合のようなブランド。このブランドが擁する作家、マノエル・フランシスコが作ったチェロ弓。
フロッグは「マンモス牙」でできています。マンモスは象の祖先でしょうから、マンモス牙は素材的に象牙と遜色ないでしょう。実際、ほとんど違いはないそうです。
弾いてみる前に、まず白いフロッグの「見た目」に興味をそそられました。美しい。
弓を手に取ると、指先に馴染むしっとり感はべっ甲とは違う感覚です。べっ甲は体温に馴染んでいく感じ。マンモス牙は象牙のイメージに近い、湿度感のあるしっとりさです。かつてはピアノの白鍵が象牙で出来ていた、というのを思い出させます。
弾いてみて驚いたのは、この「マンモスフロッグ」の弓、以前弾いて感動したMa Rong-di氏のぺカットモデルに非常に弾き味が似ているのです。しっとりと弦に吸い付く感覚、発音はしっかりとして、速いパッセージを弾いても余計な雑音が出ません。
もちろんMa Rong-di弓は現代の名弓と呼ぶに相応しい素晴らしい弓なのですが、お値段も“素晴らしい”。そのMa Rong-di弓の半分以下の価格でこの弾き味は“買い”だと思いました。
ワシントン条約と楽器のパーツ
古い楽弓には普通に象牙が使われており、演奏旅行等で海外への出入国時、税関で問題になることがあるそうです。「ワシントン条約対象の禁輸品」ということで、チップの象牙でさえ税関で止められ、楽器を持ち出せない可能性があるのだとか。弦楽器以外では、ファゴットのベルリングも象牙なのですね。
「旅するオケ団員の複雑な問題の先端にある象牙」(ワシントンポスト)
マンモス牙ハンター
ワシントン条約で禁制品となっている象牙に代わる素材として、さまざまに使われているのが「マンモス牙」なんだそうです。
「え?マンモスの方が貴重なんじゃないの?」という感じがするのですが、“すでに絶滅している”のでワシントン条約対象外。素材も加工品も輸出入規制がないのだそう。
実際、シベリア辺りの永久凍土にはマンモスの死骸が埋まっていて、温暖化の影響でそれが採れ、高値で取引されるのでマンモス牙を掘り出す「ハンター」が一攫千金を求めて集まっているのだそうです。
マンモス牙ハンターが狙うのはいわゆる一本物の牙はそのほとんどが中国への輸出。中国人は象牙が好きなようで、様々な装飾品や調度品に使われるのでしょう。
日本人も象牙は古くから身の回りに使っていますね。印章の材料は今でも象牙が最高級とされます。そして、マンモス牙も象牙に次ぐ材質として使われているようです。
楽弓を構成する部品とその材料
スティック(本体の木の棒):フェルナンブコ
チップ(先端の白い部分):象牙・マンモス牙・牛骨
ラッピング:クジラの髭・銀線・金線
サムグリップ:トカゲの革・牛革型押し
フロッグ(毛箱):黒檀・象牙・べっ甲・マンモス牙・牛骨・白角
弓毛:白馬の尾
こうしてみると楽弓は動植物を材料として使っており、中でも現在は絶滅危惧種にも指定されている貴重な動植物も使用されていることがわかります。
そして、象牙に代わる材料としての“マンモス牙”に需要があり、手に取って実際の感触を確かめることができた貴重な体験でした。装飾的な意味だけでなく、操作する部分として最も手に近いフロッグを「手に馴染む」素材にする。象牙やべっ甲にする理由が理解できたような気がします。