先日、ある番組で女優の本上まなみさんがよく本を読まれること、本が家にあふれているさまを拝見しました。その中で見覚えのある表紙の文庫本がありました。
伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』
もう何度読んだか分からない。そしていつ読んでも愉しい。
「座右の書」というほど堅苦しくなく、カジュアルに、いつでもどこでも読みたい、伊丹十三の珠玉のエッセイ。
このブログのタイトルも「退屈日記」を使って伊丹十三のスタンスに少しでも近づきたいもの、という願いを込めています。
物心ついたときは、いつもカンフー服を着て、味の素のCMに出ている娯楽映画「伊丹映画」の監督であるところの、不思議なおじさん、伊丹十三でした。
彼が国際俳優で、デザイナーであり、装丁作家であったことは、これらのエッセイを読んで初めて知りました。彼のあまりに多彩な経歴、そこで養った感性を総合化し、結実したのが「映画」だったのですね。
伊丹十三は『女たちよ!』が名著・名エッセイと言われています。もちろん、『女たちよ!』は素晴らしいエッセイだし、この本と同じように何度読んだか分からないほど、読んでいます。
一方、この『ヨーロッパ退屈日記』は伊丹十三の初エッセイ。『女たちよ!』が堂々とした、揺るぎない価値観の表明であるとするなら、『ヨーロッパ退屈日記』には、その価値観の表明に伊丹の少しの迷いがある。あるいは、少々文体が独善的で、”つれない”感じがある。だが、そこが読んでいて愛おしく感じるのです。
このエッセイが書かれたのは1965年(昭和40年)、半世紀以上前のことです。ホンモノ、とか、多様な価値観、とか散々言われてきて、いまや令和の21世紀。
56年前の伊丹十三はしっかりとホンモノの価値を見出し、「これがホンモノなのだ」と表明しています。
そのことを忘れないように、自分の価値観の拠り所として、”心のセンサーが還る場所”としてこれからも読み続けます。